鯖の味噌煮//しひて行く人をとどめむ桜花いづれを道とまどふまで散れ
シニアのみなさん‼️ まいど おはようさん
つぶやく_その1
という日記を書き始めて、時間を食ってしまった(新六七日記)
多分 この日記は これから何日も先までかかって書き直して行くのではないかと思う
誰も読みに来ることのないボクだけの静かな時間を詰め込んだ日記だからだ
生きている間に 書き残しておきたいことが いくつかある
世の中のみんなは そういったものをどうやって始末しているんだろうかと 思う
つぶやく_その2
悔む
歴史というもの。人の意思とは無関係に流れるままに築きあげられてゆく些細であり偉大なその刻印の中に、わたしたちは限りなく依り所や憩いを探し求めてしまうことがある。
それは迷路を彷徨うに似た行いにも明らかに似ているもので、ひとたびそこに共鳴となって響くものを感じてしまえば、人は魔に操られた媚薬に晒されるように自分を失ってゆき一旦は収縮していってしまう。しかし、そのあとに人は逞しく甦ってくるのだ。そこに歴史が与えてくれた熱い呪ないがあるのかもしれない。
しひて行く人をとどめむ桜花いづれを道とまどふまで散れ
ひとりの人がさり気なくさらさらと日記に書き残しているひとつの歌があった。それは古今和歌集の歌で、わたしは、ふとしたことでそこに立ち寄って拝読し、すごく得した気分になったので、ちょっとメモした。
古今和歌集なんてあっしには関係ねぇものなんですが、桜の花を見上げ、またその散りそめを見つめ、その樹の下で何を感じるかはまことに十人十色なのかもしれないものの、この中古の時代にも桜の咲く時期に、いや、年がら年中人は出会いながら別れてゆくという宿命を背負っていたのだ。
そして、「惜別」という字が物語るように過去へと追いやられてゆくひとつの別れの歴史を、この上なく惜しんだのだ。
人はすべてにおいて、喜怒哀楽の行き着くところは「悔しさ」であるとわたしは考えてきた。まさに、悔むことへの、これも呪ないなのかもしれない。
ボクは うちの子が学んだように 日本文学を勉強したわけではない
紀貫之なんて とんでもない 何にもわからない
しかし 何か気に入ったのだろう
変なやつだ、ぼくは
ふと
これを書いていた時の
自分に戻って
おい!元気か
と声をかけたい
つぶやく_はみ出し
新聞記事から(R8.3.9 朝日 東京 夕刊)
青森県立保健大と早稲田大などの研究チームが、静岡県南伊豆町の20歳以上3187人を対象に、2016年から2023年まで追跡調査を行い「どの程度幸せと思うか」を自己評価ながらこの間に277人が亡くなっったことを分析した結果
・
「幸福である」「ある程度幸福である」で死亡率に差はない
「不幸である」と答えた人は「幸福である」に比べ死亡率が2.69倍、様々な要因を考慮しても1.85倍と高かった
・
青森県立保健大の安永明智教授は、
幸福感が長期的な健康に影響を与える重要な要因
幸福感は健康につながり さらに幸せにつながる好循環も期待できる
先日から日記で触れているが
やはり
明るく生きて
自分は幸せと思って暮らすのが良い
何よりも明るく という点が重要で
長生きにつながるといえるのではないかと
近所で 井戸端談話をしていたところだ
明るく生きましょう
つぶやき・余録
休載
おひる

納豆が 期限切れ
めかぶ入り
ひっそり_おやつ
売り出しで
近所のスーパーに走って

ゆうはん

少し前に食べた鯖の味噌煮は大好評で
白ごはん.com
のお世話になって
また
作っています
あとがき
日のあたるボクの部屋で
楽器を吹いていると
うちのんが コーヒーを淹れよう と声をかけてくれた
むかしむかし その昔に見た夢のような午後のひと時
でも
むかしのボクは 『コーヒー好き』 じゃなかったのだ
まいど おおきに ─ @東関西から
Links こっちも来てね
3︎⃣ -Walk Don't Run - 【銀マド・自画像篇】
4︎⃣ 忘却という…アーカイブ. ©️ ← まもなく閉じます