ほうれん草パスタ(昼)ハンバーグ(夕)// 🦋花粉とぶ モンシロチョウもやってくる
シニアのみなさん‼️ まいど おはようさん
年金受給世帯が住民税非課税世帯になる条件 65歳以上の目安額
の記事を読んだので
これから
市役所に行ってきます
花粉とぶ モンシロチョウもやってくる
メンテが始まったので
書きっぱなしで
お出かけしてました
つぶやく
沈丁花
いい香りを放ち始めました
でもぼくは
沈丁花とか金木犀の匂いが
あまりわからないんです・・
シクシク
つぶやく _2
休載
おひる

昨日のお昼
ほうれん草のパスタ
つぶやき・余録
休載
ゆうはん

定番
ハンバーグ
思い出シリーズ
2008年の日記から
沈丁花の思い出 2019年03月02日
昔の日記から
-----------------
2008年3月 7日 (金曜日)
ジンクスが風上へ誘う沈丁花
成人式にも出る暇もなく日夜机に向かい臨んだ試験であったが、残念ながら満足な感触は無いまま三月を迎えていたと思う。
駅までの歩き慣れた道路のどこかで、沈丁花の花がぷんといい匂いを放っているところがあった。進級発表の日に匂いを嗅ぐと期待が叶わないというジンクスがあるのだという話を聞いて、些か気に掛けていたものの、住宅街を歩いてこの花に遭遇しないで過ぎることは難しい。
当時は、今のように「留年」という言葉があったものの「落第」という呼び方もしっかりと使われていた。
正門を入り階段を駆け上がり教養棟の進級発表の掲示板を見たときに自分の名前が(というか番号だったはずだが)無かったときには、多かれ少なかれ予想はしていたものの、足が震えるような感覚と目の前が渦巻くような衝撃を受けた。
まあ、落第というお仕置きを食らったのだが、学友は二倍に増えたし、肩の力も抜けた。思い切り古本屋通いもさせてもらったことだし。そう思うとそこで吹っ切れて、卒業までの後半戦は、結構自分でもアッパレなほどに専門過程に打ち込んだものだ。
1970年代。
学生は、今の若者のように豊かで満足に満ちた暮らしをしてはおらず、勉強にも生活にも不満があった。送り出す方の家庭にもそんなに生活に余裕があったわけではない。「勉強をやりたくて進学した」大学であったが、ウッカリしていると「無理に勉強する必要も無いし遊びに大学に行くくらいなら早く就職しろ」という父の苦言が飛んだ。(実は今でも)寝言に魘されるほどであったのだが、それを押し切って東京にしがみついた。
--
その二年前、下宿を決めたあとで文学部のS君と昼間からビールを買って穴八幡付近を彷徨いながら合格の乾杯をしたのを思い出す。
S君は、仙台で四年浪人をして、七年ほどかかって卒業していった同僚だ。そういう青春もあったのだな、俺たち。
沈丁花の花が咲く季節になると、あの頃、愛用の下駄を引っ張り出して颯爽と街へ出かけるときの清々しさを思い出す。恋人なんてぜーんぜん欲しくなかったなー。青春は輝かしいもので、夢は儚きもの、です。
![]()
春という季節
(そっとここに記事を残しておきます)
◎
(朝日新聞・声)落第したら友が2倍になった/2014年2月1日
▼夜明け前の住宅街を、新聞配達のバイクの音が走り抜けてゆきます。寒い朝、いつも同じ時刻に遠慮気味に配ってゆかれる方、ご苦労さまです。今の家に住んで二十数年、私は目覚まし時計を使うのをやめて、代わりにこのバイクの音で目を覚ます暮らしをしています。寝静まった路地に花の香りが漂う季節になりました。▼小4から小6まで、山間部の小さな集落で新聞配達をしたことを思い出します。早起きはもちろん、寒い朝や氷雨の降る日は本当につらい仕事でした。父が一緒になって配ってくれたものです。▼その後の東京で過ごした大学生時代はグウタラで、ジンチョウゲや梅の香る季節に落第覚悟の進級発表を見に行ったこともありました。事前にジンチョウゲを見ると落第するというジンクスがあるそうですが、結果はやはり落第。▼「倍返し」という流行語が昨年話題になりました。私の場合は、入学の時と卒業の時とで友だちの顔ぶれが違ったので、友だちの数は「倍返し」でした。長い人生、考えようによっては幸福なことです。▼そういうわけで、私にとって春という季節は何となく身を引き締め直す季節でもあります。
あとがき
朝から
いつも通りにアップしようと思ったら
メンテで ムラゴンが止まっていたので
PCを触るのをやめて
午後は
耳鼻咽喉科に診察を受けに行く家族に付き合って(運転手)
お出かけしてました
お昼は
マルちゃんの塩焼きそば
そのへんから次号の日記にしよう
ちょっと手抜きな今日の日記
次号に譲る
まいど おおきに ─ @東関西から
Links こっちも来てね
3︎⃣ -Walk Don't Run - 【銀マド・自画像篇】
4︎⃣ 忘却という…アーカイブ. ©️ ← まもなく閉じます
