アジフライを食べて、お酒はやめよと思とったのに水割り一杯
シニアのみなさん
週休七日をお過ごしの皆さん
そうでないみなさん
元気ですか
終活 ちょっと考え込みましたら ドツボです
あれもこれも きちんと伝えておかねば 面倒なことになるぞ・・
と、不安の渦に巻かれてしまいます
えーい
幾つもあるメールやブログ等は ほったらかしても どうってこと ないやろ
慌てて(解約して)消してしまったら 写真や日記も消えてしまうやんか
A社長なんか 亡くなってからもFacebook が放置され「誕生日おめでとう」のメッセージが入っていた・・、それも考えものだが 、最悪はそうなる人も多いだろう
まず、費用請求の始末をするアカウントだけをしっかり明確にしておこう
と、そこまで考えて それ以上を考えるのは 一旦やめにします
考えすぎて病気になったら大変です
鯵のフライ

一枚あたり80円ほどです、揚げた惣菜を買うと140円
やっぱし 家であげた方が おうちごはん として美味しくいただける
というような会話をしながら
さて
醤油かソースか・・
いつもの躊躇の果てに 減塩醤油を1、2滴だけ垂らして食べました
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きょうの余録帖
所感は やめて、自分のためのメモです
あれやこれやとボヤいたり独りごちたりするときに
吐き出す言葉をちょっとメモっている
読み物にはならないので スルーを推奨します
せっかく考えたのが消えてしまうと思い出せなくなるので
書き留めておくってことがあります
大抵こういう場合は ゴミになるし 後で読んでも意味不明であったりします
まあ 『どんなことを考えてその時を生きてきたのか』の記録です
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シニアの悩み
忘れる
忘れ物をした出来事を書いていた人が身近で二件あった
Aさんはスマホ、Bさんは財布をうっかり忘れて大慌てをしたという話だ
どちらの人も忘れ物に気づくのはその場を離れてからで 幸いにもそれらは無事に見つかっているからよかった
では、どうして忘れるのか
これを冷静に考察すると老化の行動に遠因があると思える
だが、言葉で原因を明確に説明するのは難しく、本質にあるものは老化の言葉そのものが持つ『老』の一面である
脳機能の低下
『脳機能の低下』というと「考える力」の喪失を連想させ悪いイメージを想像し、認知症を誘発して生きる力を失うような誤解を招きやすい
だが、思考のための『知能』に著しい衰えがあるわけではなく、なぜなら 高齢でも知力を生かした人が立派に仕事をしてる(政治家など)
高齢になれば運動能力の衰えは避けられず、駅の階段を一個飛ばしで登ったり降りようとすれば思わぬ危険を招いたりそれ自体が不可能であることに気づく
そこで、クルマの運転が危険になるため免許を返上するように指導される話も出てくるわけだ
しかし、「高齢→劣化」というわけではないのではないか
劣化とは何か
運転をしながら同時に複雑作業を考えるという課題を与える実験をする
似た実験例では『平均台渡りながら、二桁の数字の引き算をし、手拍子をする』というようなことをしても良い
ある行動に思考をしながらという負荷を与えると、高齢者である私などは運転をする技能に大きな劣化が発生することが簡単にわかる
つまり若いうちは、考えながら同時にいくつもの行動が可能だということ
だから 高齢者の「ながら動作」は危険だ となる
「考えながら、悩みながら、クヨクヨしながら、怒りながら、喋りながら」等の動作と並行して行動をすれば失敗をする(うっかり事故)
ケータイ電話を操作しながらクルマを運転してみて、どれほどまでに運転能力が劣化するかを年齢別に定量化してみる実験を想定してみると、結果は容易に推測でき、間違いなく二十歳と七十歳で大きな差が現れるだろう
だがここでもしも ケータイを持たせずに運転だけに集中させれば 七十歳であっても若者と同じように難易度の高い運転をこなせる人がたくさん出ることも容易に想像できる(仮説)
この推測から言えることは、無差別に老人に免許を返上をさせるのが正しい訳ではなく 老化した機能を正しく活用すれば使える能力が潜んでいるのだ
「老人は使い物にならない」と断定できないのである
丁寧に単発動作をする
老人の能力の衰えについて考える
スマホや財布を『忘れる』『失くす』ことが日頃の暮らしの中でたびたび起こっている
行動を観察し考察すればそれは記憶の喪失が発生させているのではなく、然るべき時の日常行動が『うっかり』なミスなのだ
老化による衰えとして断定しては尚早だ
生き抜く為にはうっかりを食い潰してしまうほどのパワーが必要だ
一つ一つの動作を単発で丁寧にこなそう
そうすれば ほら 水道の水栓の締め忘れやガスコンロの消し忘れも無くなってくるはずだ