クリスマスムードを 楽しもう!でもね・・
シニアも クリスマスムードを楽しもう
しかし ニュースを見ていると 若くして(若くなくても)これから or まだまだ というときに亡くなる人があり、その人たちの様々な人生を振り返えろうとすれば その裏には計り知れない苦節がある
私の身の周囲でも血縁で三人もおばさんが亡くなっている
去り行く歳月は 淡々と流れる大河のようなこともあれば 大滝がある激流で一気に海へと吐き出される流れの時もあろう
静かに一年を振り返る
それは また十年 三十年を見つめ直すことにもなり 人生を回想することでもある、そしてその行き着く宿命は 全てを許して忘れ去ることではなかろうか と感じる
リセットボタンを自らの手で操作することは 例外を除き無いが やがて大きな節目を超えねばならない時も来よう
一年間に五十週を送れば新年を迎えるとして 五百回の週日を過ごすことで十年が終わってゆく
五百をカウントダウンすることがさほど至難でもないかもと思うことで 人生のこれからが少し見えてくるような気がしている
さあ 明るく カウントダウンを始めようではないか
たまにはサンドイッチを買ってみよう
チキンが買いたかっただけかもしれませんが
前にも買いたように
骨付きチキンが大好きです
でも
ケンタッキーには買いに行かないな・・
サンドイッチは バイキングだったら 手を伸ばさないと思うけど
(パンは 自らは食べないので)
でも、お祭り気分で 並べてみたくなるものです

クリスマスムードのスーパーにて
ケーキを買ってきまして 楽しんでいます
綺麗に盛り付けたオードブルなども
片っ端から買ってきて テーブルに並べて
日本酒も ビールも 洋酒も ワインも
何でも揃えて 楽しみたいけど・・
眺めてきただけでした
あれは夢ですね

和田秀樹の本

たくさん本を書いています
真面目に 買うて読んだことはないのですが(スミマセン)
目次だけで納得してしまえる本かもしれないです
百冊ほど書いてられるんじゃないでしょうか
みんな 心の内では似たようなことを感じていて それがうまく言葉に出来ない
そういうことって他にもありますよね
夜は鮭で

静かに
水割りを一杯つけて
きょうの所感
来来亭本店
というのがあると Muragonのブロガーさんの記事で知りました
そら あるわな〜
- ちゃんぽん亭
- ラーメン藤
- 天一ラーメン
- 第一旭
の本店は行って食べて(感動して)満足してますが
来来亭は うっかり抜けてました
ぜひ 近いうちに食べに行きたい
クマの話
熊が出たというニュース
熊に餌を与えて誘き寄せて 特定の檻に集まるように細工をして
定期的に捕獲して 食用にしたら ええのではないか
- 熊も美味しい餌にありつけて(その挙句に食べられてしまうが)
- ヒトも熊肉が食えて
- 民家も襲われることはなくなる
熊の人生 を考えて 沁み沁み
雪の話
雪の地方の皆様 お見舞い申し上げます
人生一度だけ 遊びで蓼科の温泉へ行って雪というものに足を突っ込んだ経験があります
雪には無縁の暮らしをしてます
冬タイヤに交換をする日記を拝読すると そんな面倒で勿体無いことをする地域に暮らすのも悩みが多いなあ と思いますが・・
雪を丸めて投げ合うとか 雪だるまを作るというのは 空想の世界です
でも 時々 雪は降ります、神秘的で 静かで ロマンがあります
勤めていたころは 積雪の日は おやすみモード色でした、クルマでは出られないので お休みにしてもらうというのんびりした体質の田舎文化
(職場に無理して必死で顔を出したら 誰も来てなかったこともあった)
世相を見つめる
事故、不正、トラブル、疑惑、騙し、脅し、ネット、エロ・・
こういったものは 今に始まったわけでは無いと思うが 近年は 容赦無く表に出てくるようになった
(TVのゴールデンタイム・夕食時などに、トイレや汚いものの宣伝 こっそりと話題にするようなことなども控えることなく 平気で放映するよになったし)
ヒトが 自由と幸福と権利を無尽に手にするようになるにつれて 原始時代の信仰発生以前から持っている胸に手を当てて振り返ることを忘れていってしまったのだ と感じます
友だちとは何か
時々考え込むことがあります
中学高校大学社会で人と触れ合って友だちが築き上げられていったのですが 人生の最終コーナーに差し掛かって その捉え方にそれぞれ温度差があることを否めなくなってきています
大雑把に言えば みんなそれぞれが疎遠になり 自分の牙城に篭り始めたように見えます
それが意味するものは 友とは所詮その程度のものであったということであり 真の友とはもっと別のものなのだとも言える、また そんなものなどハナからなかったのかもしれない
年賀を廃止するという話題が目につきます
こういった儀礼に端を発する慣習は いかにも窮屈そうに思えますが 裏を返して自分を見つめれば 自分を「いたわり・ねぎらう」(労の)気持ちの表れであったのかもしれません
(労う=いたわる・ねぎらう)
20世紀から21世紀は 自分だけを見つめて 本位に生きる時代になってきました
「『お前が悪い』と言って指を指したら 残りの指は自分を指しているのだ」
と学生時代に言われたことがあります
今やこれからの時代の人には もう少し周囲に目を配って大局的な視点を失わないように心がけていくことが望まれていると思います